大嶋宏成さんは、元祖入れ墨ボクサーとして有名な元プロボクサーです。
今回はそんな大嶋宏成さんの幼少期からプロボクサーまでのエピソードを時系列で調査しました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
大嶋宏成は何者?wikiプロフ&経歴
- 本名:大嶋宏成
- 読み方:おおしま ひろなり
- 生年月日:1975年1月7日
- 年齢:49歳(2024年8月現在)
- 出身地:茨城県結城市
- 身長:180cm
- 学歴:結城市立結城中学校/卒業
- キャリア:1997年~2005年
- 階級:ライト級、スーパーライト級
- 1997年、プロデビュー
- 2000年、11連勝を経て「リック吉村」に挑んだ日本タイトルマッチで、後楽園ホールの入場者数レコードを更新する。
結果は、判定0-3で王座獲得ならず。
- 2001年、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者「佐竹政一」に挑戦するも、12回KO負けで王座獲得に失敗。
- 2005年、日本スーパーライト級王者「木村登勇」に挑戦し、4回TKO負けで王座獲得ならず。
この試合を最後に目の怪我(引退まで3回手術)のため引退。
- 引退後は、俳優として活動しながら、居酒屋「いきや」を経営。
- 「大嶋宏成のごっつぁんすTV」を配信するなどYouTouberとしても活躍中。
- 2024年8月16日、女優の吉田美佳子さんと結婚を発表。
大嶋宏成は小学生時代から喫煙者!
大嶋宏成さんは3歳で両親が離婚してからは父親に引き取られました。
ただ、父親も家にいなかったようで、祖父母に育てられています。
また、幼少期はプロ野球選手を目指していたと語る大嶋宏成さん。
野球をやっているときは、周りにチームメイトがいるけど、空が暗くなったらチームメイトはいなくなるじゃないですか。
だから、野球で得られたのは「昼の友達」。引用:VICTORY
その友達がいなくなる夜には、また別の「夜の友達」を作って。それで、煙草が登場するわけですね。
あと万引きとか、そこらの不良がやりそうなことは、だいたい全部やって。
同い年の奴らに負けた記憶はないので、喧嘩は強いほうだったと思います。引用:VICTORY
少年時代に不良の道に走ったのは、寂しさを紛らわすためだったようですね…。
大嶋宏成は中学校卒業後に暴力団の構成員となる
大嶋宏成さんは、高校を受験するもすべて落ちたそうです。
中学校時代の友達も、次第に高校の友達と遊ぶことを優先するようになったそうです。
寂しいじゃないですか。
おまけに暇だし。駅前に行くと、ちょっと年上の不良がたまっていたから、遊んでもらって、一緒に悪さもして。
あるとき、軽い感じで誘われて、ヤクザの組事務所に遊びに行きました。引用:VICTORY
と、当時を振り返る大嶋さん。
革張りのソファとか、やたらと立派な机とか、そういうのには何とも思わなかったな。
何に感動したかって、部屋住みの若い衆とか兄貴分とか、事務所に行けば、かならず誰かがいるところです。(中略)
親がほとんどいなかったから、誰かとワイワイ食べたいんです。
小学生のときに友達の家でご馳走してもらった、白菜やニンジンがたっぷり入った鍋の味は今でも忘れられません。引用:VICTORY
寂しさから逃れるようににぎやかな暴力団の組事務所に入り浸る日々を過ごしたようです。
その後親分と杯を交わし、正式な構成員になります。
金運と女運が上がると言われる「金魚」の入れ墨を両腕に彫り、名前を売るために喧嘩に明け暮れる日々を過ごします。
そして傷害事件を起こした末、16歳で小田原少年院に収監されることになります。
大嶋宏成は少年院に収監されたことがプロボクサーを目指すきっかけ
少年院に入った大嶋宏成さんは、あまりに暇だったので筋トレに目覚めたそうです。
そして、1年2か月を経て出所。
出所後、プロボクサーを目指になることを決心するのですが、そのきっかけを語っていました。
面会に来た元ボクサーの父から祖父母が毎日泣いていることを聞くと、自然と涙がこぼれた。
初めて人生を振り返り、時間をかけやり直すことを決心した。
引用:スポーツ報知
少年院に入り、自身の行いのせいで身内を悲しませたことを知った大嶋少年。
大嶋宏成がプロボクサーになるまで、5年かかった理由
大嶋宏成さんがプロボクサーになれない理由がありました。
それが、「入れ墨」です。
入れ墨がはいったボクサーはプロライセンスが交付されない決まりになっています。
日本ボクシングコミッション(JBC)のルールでタトゥーは禁止されており「入れ墨など観客に不快の念を与える風体の者」は試合に出場できない決まりがある。
そのため出場する選手はファンデーションなどで隠す必要がある。
選手からしたら、海外の選手はOKで日本だけ禁止されているのも疑問が残る。日本では入れ墨=反社を連想させる特有の倫理観が影響しているためイメージが悪いのだろう。
Yahooニュースから引用
腕の入れ墨はレーザー治療で薄くなったものの、胸の入れ墨は残ったまま20歳になった頃、ボクシングジムを探すために上京します。
ただ、入れ墨のことを打ち明けるとことごとく門前払いされるなか、輪島スポーツジムだけ受け入れてくれます。
その後、入れ墨を消すため「尻と太ももの肉を胸に移植」してプロテストに挑んだ大嶋宏成さん。