早田ひなさんは卓球女子の日本代表選手で世界ランク5位のトップアスリートです。
そんな卓球界の宝を家族一丸となって育て上げた石田卓球。
現在も専任コーチは、石田卓球の三男「石田大輔」さんが担っています。
今回は早田ひなさんを家族で育て上げた石田卓球について調査。
また、石田卓球が育て上げた一流選手たちも調べました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
早田ひなのwikiプロフ&経歴
まずは早田ひなさんのプロフィールと経歴に触れておきます。
- 本名:早田ひな
- よみ方:はやた ひな
- 生年月日:2000年7月7日
- 年齢:24歳(2024年7月現在)
- 出身地:福岡県北九州市
- 身長:166cm
- 利き手:左に矯正
- 所属:日本生命
- 世界ランク:5位
- 卓球界の名門・石田卓球クラブで4歳から卓球をはじめる。
- 全国中学校卓球で全国初優勝を飾ると、その後はインターハイ、ジャパントップ12等で国内タイトルを獲得。
- 2020年の全日本選手権大会ではシングルス、女子ダブルスで2冠を達成した。
- 国際大会においても、世界選手権やワールドカップでメダルを獲得する等、多くの大会で好成績を収めている。
- Tリーグでは、2018-2019シーズンおよび2020ー2021シーズンで前期MVP・年間MVPを受賞。
- ここ一番の試合を任され、チームを引っぱる頼もしい存在。
早田ひなさんの実家の父・母・姉は全員サポーターの記事はこちら
早田ひなは石田卓球出身!
早田ひなさんが卓球を始めたのは4歳の頃です。
祖母が卓球の経験者だったものの、ご両親は卓球とは無縁。
ある日、姉が「卓球をしたい」と言い出し、一緒に卓球クラブへ見学に行きます。
そのクラブが石田卓球クラブで、面白そうと思った早田ひなさんも一緒に入会することになりました。
その後は、現在まで20年以上にわたり家族一丸となって指導にあたり、成長を見守り続けています。
石田卓球とは?
(引用:Google Maps)
早田ひなさんを育てた石田卓球について見ていきましょう。
設立は36年前
石田卓球は1988年、国体コーチ経験者の石田眞行さん(男先生)が妻・千栄子(女先生)さんとともに、産婦人科医院の跡地を利用して設立しました。
クラブを立ち上げたきっかけを設立者の石田眞行さんはこう語っています。
福岡大学の同級生だった私たち夫婦がなぜこのクラブをつくったかといえば、ちょうど長男が中学に入るタイミングで、自分たちが果たせなかった全日本優勝という夢を子供たちに託すためでした。
引用:週プレNEWS
それに手ごたえを感じた石田眞行さんは仕事を卓球の指導一本に絞り、現在では2拠点体制で後進の育成に努めています。
- 石田卓球クラブ:福岡県中間市垣生1274-1
- 石田卓球N+:福岡県北九州市八幡西区則松1丁目6-30
石田卓球は家族全員がコーチ
石田卓球は、設立した石田夫妻と3人の息子が、家族一丸となって指導に取り組んでいます。
- バンビ:女先生(石田千栄子先生)※バンビ⇒小学校2年生まで
- 小3から中学生:長男の弘樹さん
- 高校生/男子:次男の真太郎さん
- 高校生/女子:男先生(石田眞行先生)
- 早田ひな専属コーチ:三男の大輔さん
幼少期から高校卒業まで、一貫した指導体制で打倒中国を掲げています。
石田卓球の卒業生で水谷隼さんや福原愛さんとダブルスを組み世界大会で銅メダルを獲得した岸川聖也さんは石田眞行さんの指導方法をこのように述べています。
間違いなく日本一の指導者。厳しい指導にも愛がある。
技術、戦術、メンタルの全ての教え方が抜群にうまいんですよね。
あと石田出身の選手はみんなフォームが綺麗。
早田も田添兄弟もそのおかげで伸びた。
あとは沢山練習して、戦い方を覚えればもっと強くなれる引用:Rallys
世界の早田ひなを育てた石田卓球!
(引用:週プレNEWS)
早田ひなさんを世界で活躍できる選手に育て上げた石田卓球。
通い始めた直後から、世界を見据えた指導が始まります。
利き手を左手へ変更したのもコーチの指導
現在は左利きで世界と戦う早田ひなさん。
早田ひなさんはもともと右利きで、現在でも卓球以外は右利きとして生活しています。
そんな早田さん、石田卓球クラブへ通い始めてすぐに左利きに矯正されました。
早田さんにこのように伝えました。
千栄子さんは「ケンケンをしてみて」と、どちらの足でやるかは言わずに伝えた。
すると早田選手は右足で跳び、「この子は左利きの選手だ」と直感したという。
幼い子にそう指示すると、利き手とは逆の足で跳ぶことが多いためだ。
彼女の父も左利きとの情報も得て、左手に持ちかえさせた。引用:朝日新聞デジタル
このエピソードがなければ早田ひなさんは、多くの卓球選手の中に埋もれていたかも知れませんね。
世界を見据えてフォームを徹底的に見直す
世界で通用する選手を育てるためにはフォームの綺麗さは重要で、とくにアジア系の体格では力の強いヨーロッパ系の選手には打ち負けます。
石田卓球では、フォームの矯正から始めます。
「フォーム作りの担当は女先生(妻の千栄子さん)なんですよ。卓球を初めて半年経つともうフォームの癖は直らない。だからすぐに女先生が徹底して直すんですね。ゴムチューブで引っ張ったり、台の上で素振りしたり、色々しますよ」(石田氏)と幼少期のフォーム矯正は大切だという。
引用:Rallys
早田ひなさんも、この指導のおかげで世界の選手に打ち負けない綺麗なフォームが身に付いているのでしょう。
早田ひなの現在のコーチは石田卓球の三男
早田ひなさんが石田卓球へ通い始めた頃は、女先生(千栄子さん)でした。
小学校からは総監督の男先生(眞行さん)がコーチを務め、現在は石田卓球の三男の石田大輔さんが勤めています。
コーチの大輔さんは早田ひなさんのことをコメントに残しています。
小学4年生のひなを見た時にアレ?この攻撃力とフットワークはひょっとしたらひょっとするかもと将来への可能性を感じたことを今でも鮮明に覚えています。
ただ体が小さかったのでこれからだなとも思っていましたが、中学生の時には身長も伸びて世界で勝負できると確信に変わっていました。
また、4歳から指導してきた父と母からコーチを引き継いだ時のことも答えていました。
毎日毎日コツコツと頑張れる子だよ、1度たりとも手を抜いたところを見たことがない。
だから絶対に良い選手になるから、誰よりも一番近くで応援して、一緒に練習して、ひなに必要そうだと思ったものを常に用意してあげて、頑張りすぎたときには休みを取ってあげてね!
引き継ぎにも愛情を感じますね。
選手一人ひとりに愛情をこめて接する、石田卓球の指導方針を垣間見た気がします。
石田大輔コーチ
スウェーデンとデンマークでプロの卓球選手として活躍。
選手引退後は、スポーツ用品メーカー「ミズノ」の社員として全国各地で卓球教室を開いたり、卓球用品の担当を務めます。
当時のことを「この仕事は天職だと思っていた」と語っています。
その後、早田ひなさんに将来的なポテンシャルを感じ、退社を決断。
両親が育てた逸材を預かります。
始めはケガなどの故障に苦しんだものの、2020年、23年、24年に全日本選手権を3回制覇し、パリ五輪の代表権を勝ち取りました。
二人の活躍に注目ですね!
石田卓球で育った一流選手たち。
早田ひなさん以外にも、石田卓球は実力者を多く輩出してきました。
上述した岸川聖也さんをはじめとした実力者をピックアップしました。
岸川聖也
- 1987年5月21日生まれ。
- 福岡県北九州市出身小学生時代から石田卓球クラブでその才能を開花させ、全国的に活躍。
- 15歳、仙台育英秀光中学3年の時にドイツに渡り、デュッセルドルフで練習し、ドイツ3部リーグでプレーする。
- その後、ドイツには9シーズン在籍し、1部リーグのデュッセルドルフやオクセンハオゼンで活躍。
- 特に、ドイツ留学の後、インターハイで3連勝し、日本人選手としての初の快挙を達成。
- 一気に日本の中・高校生にドイツスタイルとも言うべき、モダンなシェーク攻撃スタイルが定着するきっかけとなる。
- 2009年世界選手権横浜大会では水谷と組んだ男子ダブルスで3位。
- 2011年世界選手権ロッテルダム大会では福原と組んだ混合ダブルスで3位。
- 2012年ロンドン五輪ではシングルスでランキング上位の呉尚垠を破り、ベスト8に入った。
田添健汰
- 1995年生4月2日生まれ。
- 福岡県北九州市出身。
- 6歳のころから卓球を始め、ホープスナショナルチームの一員となり、2007年の全国ホープスでは石田卓球クラブの優勝に貢献。
- 中間東中学を経て希望ヶ丘高校へ進学。
- 高校3年時に地元北九州で行われたインターハイで学校対抗とダブルスの二冠を獲得。
- シングルスでも3位入賞を果たした。
- 全日本選手権の混合ダブルスでは、高校時代の後輩である前田美優とのペアで連覇を含む3回の優勝を飾っている。
- 弟は田添響。
田添響
- 1996年6月2日生まれ。
- 福岡県北九州市出身。
- 父と兄(田添健汰)の影響で6歳の時に、石田卓球クラブで卓球を始める。
- 小5、小6ではナショナルチームに所属。
- 高校時代には地元北九州市でのインターハイで希望が丘高校初となる団体優勝を飾り、ダブルスでも2年連続3位入賞。
- その後、専修大学に進学し、2017年にはドイツのブンデスリーグ2部に参戦し、22勝3敗という成績を修める。
- このドイツでの経験が活き、2018年の全日本選手権で初のランク入りを果たした。
小塩遥菜
- 2005年8月3日生まれ。
- JOCエリートアカデミー所属の高校1年生。
- 小学6年の1年間は実家を離れ、石田卓球クラブで腕を磨いた。
- 中学生の頃から世界の舞台で活躍し、同世代では世界トップクラスの実力を持つ。
- Tリーグでは、中学2年生からマレッツのメンバーとして参戦し、主にシングルスで出場。
小塩悠菜
- 2008年7月5日生まれ。
- 全日本選手権ベスト8の実績を持つ母・真弓さんと姉・小塩遥菜の影響で6歳から卓球を始めまる。
- 小学校時代は地元・岐阜県の卓研ジュニアクラブで腕を磨くと、小学2年生で出場した全日本選手権バンビの部では決勝で張本美和を破って優勝。
- 小学校時代はボクシングにも打ち込んでおり、小学4年時には27.5キロの部で日本一に輝いた異色の経歴の持ち主。
- 小学5年からは卓球一本に絞り、石田卓球クラブの門を叩きます。
- 2019年には全日本選手権ホープスの部ベスト4、カデットの部女子ダブルス準優勝、東アジアホープス女子シングルス3位と、好成績を残し、本格的に全国レベルの選手として名前が知られるようになった。
早田ひなを育てた石田卓球、まとめ
今回は、早田ひなさんを家族一丸となって育てた石田卓球について調査しました。
4歳の時、姉と一緒に石田卓球クラブの門を叩いた早田さん。
女先生こと千栄子さん、男先生こと眞行さんの的確な指導によりみるみる上達。
現在は、三男・石田大輔コーチとともに世界で戦っています。
これからも早田ひなさんと石田大輔コーチ、そして石田卓球。
一丸となって世界に挑む姿に注目していきたいですね!
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