西田有志さんは男子日本代表のバレーボール選手で、世界で活躍するトッププレーヤーです。
そんな西田さんの実家は三重県いなべ市の5人家族。
姉と兄がいる末っ子として、厳しくも愛情いっぱいの父と母の教えの元で育ちました。
そこで今回は、西田有志さんの家族について調査。
両親の厳しくも愛情たっぷりの子育てエピソードも紹介します。
ぜひ、最後までお付き合いください。
西田有志は三重県生まれで、5人家族の末っ子
西田有志さんは、2000年1月30日生まれ。
幼少期はかなりヤンチャっ子だったみたいで、母がインタビューで当時を振り返っています。
「ヤンチャはヤンチャ。やりたいことをやらないと気が済まない。それくらいヤンチャ」
「人様の田んぼの中をを走り回って踏み荒らしては怒られる。そんな電話が毎日のようにかかってきた。」
「一回、怒られたらええんやろ」と開き直る。
まだ食べるなと言っても勝手に食べ、「食べてない」と平気で嘘をつく。
もちろん、叱ればまた泣く。
引用:NumberWeb
そんな西田有志さんがバレーボールを始めたのは5歳の時です。
「ヤンチャ息子が唯一、嘘もつかず、サボらず、一生懸命取り組んできたのがバレーボールだった」と母は答えているように、めきめき実力をつけ、小学校4年の時には全国大会へ出場を果たしています。
2014年、いなべ市立大安中学校時代には、全国都道府県対抗中学バレーボール大会の三重県選抜チームに選出。
「地元がいい」と進学した海星高校時代には、三重県立松阪工業高校の壁を破れず春高バレーの出場は果たせなかったものの、2017年のインターハイに出場。
第11回アジアユース男子選手権大会に出場するU-19日本代表に選出。
大会では優勝を果たしています。
大学には進まず、兄が勤務していたジェイテクトが所有する、Vプレミアリーグ男子の「ジェイテクトSTINGS」に高卒内定選手として入団。
2019年10月には、バレーボールワールドカップでベストサーバー賞を獲得しています。
2021年、東京オリンピックに出場。
2021年8月、イタリアセリエA「ヴィボ・ヴァレンツィア」に所属するも、2022年6月にはジェイテクトに復帰しています。
2023年6月、ジェイテクトSTINGSから「パナソニックパンサーズ」に移籍。
2024年、日本代表としてパリ五輪に出場することが決定しています。
西田有志の父と母
父:真面目な元バスケットボール選手
西田有志さんの父親は、徳美さんというお名前です。
父はバレーボールではなく、元バスケットボールの選手で、実業団「東芝名古屋」で活躍していました。
父・徳美さんは1967年生まれで、2024年は57歳になる年です。
文春のスポーツ情報サイトNumber Webでは、
幼少期から息子の成績や成長の記録をマメに記録してきた父。
家族思いの真面目で優しい父・徳美さんの人柄がうかがい知れますね。^^
母:バレーボールの道に進んだ子どもを全力サポート
西田有志さんの母親は、美保さんというお名前です。
母も元バスケットボール選手で、父と同じく実業団「東芝名古屋」でプレーしていました。
30歳を過ぎてから末っ子(有志さん)を出産したというインタビュー記事から、54歳以上であることが分かります。
(西田有志さんは、2024年7月現在24歳)
両親ともにバスケットボール選手でしたが、子どもたちにバスケを教えることはありませんでした。
子どもたちにバスケットボールをしてほしいという気持ちもが少しはあったのかもしれません・・・。
それでも、バレーボールの道に進んだ息子を全力でサポートしてきました。
西田有志は姉と兄がいるバレーボール三姉弟
西田有志さんには、姉と兄がいます。
8歳年上の姉は、早希さんというお名前。
6歳年上の兄は、圭吾さんというお名前です。
二人とも幼少期にバレーボールを始めた経験者ですが、社会人になってからは選手の道には進んでいません。
西田有志さんは姉と兄の姿を見てバレーボールを始めました。
そのころの様子を母・美保さんが語っています。
姉に続いてバレーボールを始めた兄は、小学6年生の時に「圭吾(兄)と一緒にやりたい」と望んだ5歳の有志を連れ出した。
まだ保育園生ではあったが、特別に練習へ参加させてもらった。引用:Nnmber Web
姉と兄が通っていたバレーボールスクールは小学生になってからしか入れなかったようですが、特別に入会が許されたようです。
やると決めたことはやらずにはいられない!
幼少期から西田有志さんは、一途な性格のようです。
西田有志は厳しい両親に愛情いっぱい育てられた!
西田有志さんは、厳しくも愛情たっぷりの両親の教えの元で育ちました。
そのことがわかるエピソードを紹介します。
中途半端が嫌いな両親
「やるか、やらないか。0か、100か。『とりあえずやってみよう』はやめろ、と親に何度も言われました。中途半端がとにかく嫌いな両親でした。そういった考え方は少なからず今の自分の土台になっていると思いますし、試練や困難から絶対に逃げないことだけは強く意識しています」
引用:GROWING
西田有志さんの両親は「中途半場な気持ちでするな!」という教えでした。
体当たりで息子とぶつかる母
中学校の多感な時期には、ヤンチャな性格が再び表に出ます。
バイクに乗りたい。タバコを吸いたい。見かけだけのカッコよさを真似しようとする息子を、体当たりで止めたのは母だ。
引用:NumberWeb
母・美保さんは行動に出ます。
『吸いたいなら吸え、その代わり背は伸びんし、その前にお母さんが吸うわ』って目の前で吸ってやったんですよ。
私はタバコなんて吸えないから、むせるし、苦しいし。
まさに母の愛情がなせる業ですよね。
その母の姿をみてタバコも吸わなかったし、バイクにも乗ることはなかったようです。
真正面から体当たりで向き合う母がいなければ、世界で活躍する西田有志さんもいなかったかもしれません。
あえて厳しい言葉をかける母
西田有志さん高校2年の冬。
あと1勝で春高バレー出場が決まるという試合のエピソードです。
この試合ゾーンに入り、「打てば決まる」状態でした。
そんな試合終盤、両足が攣るアクシデントに見舞われ、途中交代。
試合も敗れ、泣き崩れる西田有志さん。
母がそんな息子の元へ歩み寄り声を掛けます。
周りが、「優しい言葉をかけてあげて」と美保さんを促したそうです。
「ほら見てみ、お前のせいで負けたんやぞ!」
「決勝は5セットマッチ。心肺機能もまだ高まっていないから、ちゃんと走り込んで体力が持つようにしなさいと言ったのに、人の言うことを聞かず、『大丈夫、大丈夫』って。結果的に全然、大丈夫じゃない。お前のせいでしょ。言い返すだけで、人の言葉を聞かない。だから負けたんやろ、と現実を教えたんです(笑)」引用:NumberWeb
この言葉で我に返った有志さん。
あえて厳しい言葉で、やる気にさせる!
息子のことをよく知っていないとできない行動ですよね。
西田有志の家族と両親の厳しくも愛情たっぷりエピソード、まとめ
今回は西田有志さんの家族や両親とのエピソードを調査しました。
三重県いなべ市の5人家族の一員として育った西田さん。
両親と姉・兄の末っ子として育ちます。
ヤンチャっ子だった幼少期にバレーボールと出会い、小学校で全国大会へ出場を果たします。
その後ヤンチャっ子に戻りそうになるも、母が体当たりで阻止。
両親の厳しい教えの中、成長。
これからも日本を代表するトップアスリートとして世界を相手に活躍する西田有志さんに注目ですね!
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